50年後の証言 「あさま山荘事件」 1972・2・28 ーあの時、極寒の現場で見た光景(1/2)

会の活動報告

佐藤 永久(東京新潟県人会副会長)

『新潟日報』(有料デジタル版)など各マスコミで特集
1972年2月、日本中の耳目を集めた大きな事件―あさま山荘事件が起きてから今年で丁度50年。各マスコミでは、一斉に特集記事を掲載。
『新潟日報』(WEB版)でも「50年後証言」と題した特集(2・27鶴信吾)を組む。
当県人会副会長・佐藤 永久氏(当時・警視庁公安部・32歳)も、4人の証言者の一人としてこの特集に登場。
たまたま佐藤永久氏は、第17回「卓話の時間」において本会会員の為に「あさま山荘事件」の生々しい実態について語っておられた(本誌・平成31年2月号に掲載)。
そんなことで、今回、「新潟日報」WEB「卓話の時間」の内容を踏まえ、改めて佐藤氏から、あの時の極寒の現場で自身が見た光景について語っていただいた。

まずは 、第17回「卓話の時間」での あさま山荘事件(の内容) をご覧ください。


過激派グループ・連合赤軍の人質籠城事件

■あさま山荘事件とは、1972年2月19日、過激派グループ「連合赤軍」のメンバー5人が、長野県軽井沢町の保養施設(河合楽器)「あさま山荘」に乱入し、管理人の妻(当時31歳)を人質に立てこもった事件である。

■「あさま山荘」は、切り立つ崖の上に立つ難攻不落の要塞のような処だった。下から攻めようとすると犯人から容赦ない銃弾が降り注ぐ。極寒の環境における警察当局と犯人側との銃撃戦の攻防、血まみれで搬送される隊員などの衝撃的な様子をNHKテレビは計10時間にわたり実況放送。全国民がかたずをのんで見守ったのだった。

(2/2)へつづく