田中角栄先生と船田中の秘書官としての私のかかわり(政界裏話)

会の活動報告

 2020年1月14日
[卓話者] 蓮實 進 氏(公益財団法人日本さくらの会理事長、元衆議院議員)

 
 

 蓮實氏は、故・船田中代議士の秘書を25年間務め、平成5年に衆議院議員に初当選、以来連続4回当選。国土交通副大臣等を歴任された。また、「公益財団法人日本さくらの会」の理事長の要職を永年にわたり務め、その間の政界裏話を披露された。

(1)「日本さくらの会」について


公益財団法人日本さくらの会、日本さくらの女王より

 「公益財団法人日本さくらの会」は、1964年東京オリンピック開催の年に日本の花「さくら」の愛護、保存、育成、普及等を目的に初代会長の船田中衆議院議長を中心に超党派の国会議員有志により設立され、「さくら」の植樹や愛護、名所の保全、名木・巨木の保存を行っている。また、「日本さくらの女王」を2年に一度、全国公募により選出し、全国各地で開催のさくら祭りや植樹式に出席する他、さくらの親善大使としてアメリカ、ドイツ等を親善訪問すると共に海外のさくらの女王との交歓など、国際親善交流も行っている。

(2) 田中角栄の人気


田中 角栄(Wikipediaより)

 田中角栄の人気は、すでに亡くなって23年にもなるのになぜか脚光を浴びているか?
三国峠をダイナマイトでドカンとやれば、新潟に雪は降らなくなり、崩した土砂で、そのまま日本海を埋めて佐渡まで陸続きにすればいい。冬は雪に閉ざされ産業も育たず多くが出稼ぎした新潟県人の雪の降らない環境を切望した。

 角栄は学歴こそ高等小学校卒なるも、建築士であり、商業にも明るく、官僚以上に行政を知る人でした。角栄の政治は、金権政治の一言で切り捨てられるが、今より、突出して地域格差があった地方に利益を誘導して発展させるという日本の均一化には、一定の成果を挙げた。

 一方で、開発の行き過ぎによる環境破壊、原発利権の構築、族議員と呼ばれる政治家による、不必要な公共事業の頻発という、有り難くない状態も生み出し、不透明な金銭スキャンダルが暴露され総理大臣を辞職。さらに1976年にロッキード事件で5億円の受託収賄罪と外国為替・外国貿易管理法違反の容疑で逮捕、自民党を離党する羽目になった。

その後も角栄は裁判を争いながら、闇将軍として政界を操るが二度と表舞台に立つことなく、1993年に75歳で死去した。

(3) 船田中について


船田 中(Wikipediaより)

 船田中は、政治家一家として知られた「船田三兄弟」の長兄。東京帝国大学を卒業し、内務省に入省し、東京市助役、東京市長代理を経て、1930年の第17回衆院総選挙に当選。1955年、保守合同に伴い自由民主党に参加。同年、第三次鳩山内閣の防衛庁長官に就任。

 また、自民党外交調査会長、安全保障調査会長を歴任し、親台湾・大韓民国派、タカ派としての立場を取った。党内では大野伴睦派に所属するが、大野の死後に派閥は分裂し、船田派を率いた。

 以後、衆議院議員(当選15回)。第51代・第56代衆議院議長、自由民主党副総裁を歴任した。

(会報誌:2020年4月 総務委員会)