重要文化財 渡邉邸を訪ねて

にいがた情報

佐藤 勝

 新潟県は、国指定の建物や名勝庭園が数多くある全国でも有数の県である。新潟に名庭園の多い理由はいくつかある。
 その一つは、江戸時代から北前船交易を通じて京都の文化に触れる機会も多く、豪農・豪商、更に武家や寺院が京風の伝統的な庭園を造ったといわれている。また明治時代には全国の多額納税者トップ10に新潟県人が6人もいたこともあり、多くの豪農・豪商・石油王らの豪華な館や庭園が現在も多く残っている。

 とくに県北部エリアは名庭園が多く、村上市を起点とする国道290号線沿いにこれらが点在している。嬉しいことにこのエリアは温泉も多く、現在は「にいがた庭園街道」と名付けたルートをたどる新しい旅の提案が注目されている。
 今回、この県北でもひと際存在感を放つ豪農・豪商の邸宅である渡邉邸を紹介する。渡邉邸は昔から交通の要所として歴史のある米沢街道と共に発展してきた宿場町である関川村の役場の正面にある。

 この建物は、昭和29年に国の重要文化財に指定されている。関川村は新潟県と山形県の県境にある山と川、それに点在する鷹ノ巣温泉など湯の里でもある。羽越線の坂町駅から米坂線に乗り換え2つ目の越後下関が最寄り駅となり、車では国道113号線沿いにある。

 渡邉邸は以前、今村昌平監督の映画「ええじゃないか」やNHKテレビドラマの「蔵」のロケ地にも使われた。渡邉家は代々の当主が廻船業や酒造業、新田開発などの事業を展開し財を成すとともに、私財を投じ時々の公共事業の推進や地域の政治・社会・文化の発展に貢献してきた。幕末まで米沢藩に融資を行い、その功績により勘定奉行格の待遇を受けており、名君と謳われた上杉鷹山の藩政改革を陰で支えていたのは有名な話である。最盛期には75人の使用人、100人以上の小作人を抱え、一千町歩の山林を持ち七百町歩の水田から約一万俵の小作米を収納したと伝えられる。


 豪農の屋敷で、これほどの身上持ちでありながら、母屋の屋根には石が置いてある。なぜ瓦屋根にしなかったのは、「殿様よりも立派な家に住んでいると思われるのは良くないと、外からは質素に見えるようにした」と言われている。また、人を雇う公共事業の意味もあり、杉板の上に川原石を置く石置木羽葺屋根(いしおきこばぶきやね)にして、地味に見せるためわざと手間のかかる作りになっている。ただお金をばらまくのではなく、仕事をさせることで下々の人達にお金が行き渡るようにしたのは、渡邉家大旦那様のお金の使い方だったのかもしれない。


 屋敷の造りも豪華な中にいろいろ工夫がなされている。母屋に入る入口が式台玄関と大門という二つの玄関がある。また、大座敷は、江戸時代のしきたりでは武士でなければ造れないという書院造りになっており、火災などで多くが再建された中、この座敷だけは江戸時代のままのこる。邸にある蔵は、現在、味噌蔵・金蔵・宝蔵・米蔵・新土蔵・裏土蔵の六棟があり、今も貴重な資料が保存されているという。


 今回の取材では、公益財団法人重要文化財渡邉家保存会の事務局長井浦愼一郎さんにいろいろ説明頂き、また資料提供などご協力を頂いた。
 村上市出身の筆者は小さい時からこの渡邉邸の存在を知ってはいたが、国の宝としての素晴らしさを改めて知ることが出来た。(会報誌:2021年04月)

写真引用(ウェブ広報:榊)
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