良寛さんと貞心尼さんの師弟愛


山本 良一 東京良寛会会長

一、貞心尼さんの生い立ち

貞心尼さんは寛政十年(1798年)に長岡藩士の奥村五兵衛の娘として生まれました。幼名はマスと付けられました。三歳の時に母を失いましたが、柏崎から魚介類を売りに来る行商人を乳母のように慕い、十二歳の時に「海が見たい」と柏崎に行き、その折に薬師堂の尼さん達にも出会い強い印象を受けたようです。このことが後年柏崎を中心に尼さんとして活動された遠因のようです。

十七歳の時に小出島の医師・関長温と結婚しましたが、子宝に恵まれず二十三歳の時に離縁し、実家に戻りましたが、その後、柏崎の西光寺の末寺、閻王寺の心龍尼、眠龍尼の弟子となり「貞心尼」の法名をもらい沙弥として七年間の修行の後、三十歳の時に現長岡市福島町の閻魔堂の尼さんとして独居修行の生活に入りました。心龍尼は資質峻厳、貞操堅固の尼さんであり、安居(僧が一定期間一ヶ所で修行する。普通は三ヵ月程度)等も行いました。

二、良寛さんとの初相見

長岡の人達から、良寛さんという手毬などして子供達と戯れたり、書道、歌道にも優れる乞食僧の話を聞き、関心を持たれたのでしょう。文政十年(1827年)夏に木村家を訪れました。しかし、良寛さんは寺泊の密蔵院に仮住中でした。貞心尼さんは、自製の手毬に次のような歌を添えて帰られました。
(師常に手毬をもて遊び給うとききて奉るとて)
「これぞこの仏の道に遊びつつつくや尽きせぬ御法なるらむ」
*歌意 手毬をつく中に仏の道があり、そこに尽きることのない真理が有るのでしょうか。

立秋の頃に木村家に戻った良寛さんは求道に直向な尼さんと思はれて「つきてみよ一二三四五六七八九の十 十とおさめてまた始まるを」
*歌意 あなたも、ついてみなさい。

 仏道は実際に行うことが大切です。と強い口調で戒め呼びかけている。お二人の初相見は秋に木村邸で唱和を主とした様子が『蓮の露』に纏められている。
(初めて相見奉りて)
「君にかくあひ見ることのうれしさも、まだ覚めやらぬ夢かとぞおもふ」(貞)
「夢の世にかつまどろみて夢をまた語るも夢もそれがまにまに」(師)
「しろたえの衣手寒し秋の夜の月中空に澄み渡るかも」(師)
「向いいて千代も八千代も見てしがな空行く月のこと問わずとも」(貞)
「心さへ変はざりせば這う鳶の絶えず向はむ千代も八千代も」(師)
「またもこよ柴の庵をいとはずば薄尾花の露をかきわけ」(師)
*歌意
貞心尼さんは「お逢いしているのは夢の中なのでは」と詠じて居られるが、良寛さんは、夢の中でもよろしでしょう。それがありのままのお気持ならば。何事もあるがままと計らいのない事が大切です。そうして又の出会いを約束されました。


(図一)

三、仏とは

(程経て消息賜りけるなかに)
「君や忘れる道や隠れるこのごろは待てど暮らせど訪れのなき」(師)
と良寛さんの方から歌が届けられました。これに対して貞心尼さんは
「事しげきむぐらの庵に閉じられて身をば心に任せざりけり」さらに
「山の端の月はさやかに照らせどもまだ晴れやらぬ峰の薄雲」(貞)

この頃、貞心尼さんは心龍尼さん達の冬安居に参加して、自由な外出は不可能であり、さらに貞心尼さんの心には峰の薄雲のような煩悩があり悟ることは出来ませんと良寛さんに悩みを歌で打ち明けられた。良寛さんも早速に返歌を送られた。
「ひさかたの月の光の清ければ照らしぬきけり唐も大和も昔も今もうそもまことも闇も光も」と(師)

月の光のように仏心は、場所も時代も人々の心境等を問わず分け隔てなく平等に照らしますよ。あなたの心にも必ず光は差し込むでしょうと道元禅師の『愛語』のような慈愛の心と顧愛の言葉をもって貞心尼さんを励まされました。その結果、翌春良寛さんに喜びの手紙が届きました。

(春の初めっ方、消息奉るとて)
「我も人もうそも誠も隔てなく照らし抜きける月のさやけさ」(貞)
「覚めぬれば闇も光もなかりけり夢路を照らす有明の月」(貞)
*歌意 迷いの夢からさめましたら有明の月(仏心)が唯、私の心にも輝いていました。

良寛さんも、このような貞心尼さんからの手紙に喜び、次のような法の道の奥義を返歌とされた。
「手にさわる物こそなけれ法の道それがさながらそれにありせば」
*歌意 仏心とは経典とか仏像のような外部にある物ではありません。自身の心から煩悩が消え去る状態を仏心に目覚めたというのです。

さらに、貞心尼さんに僧侶としての生き方を次のように示された。
「霊山の釈迦の御前に契りてしことな忘れそ世はへだつとも」(師)
「霊山の釈迦の御前に契りてしことは忘れじ世はへだつとも」(貞)

 お二人の歌を文字通りに解釈すれば「霊鷲山でお釈迦様の前で誓った事を今も忘れるな」、「はい決して忘れません」と云う事です。しかし釈尊の説法を聞くことは不可能です。

良寛さんは仏の原点は釈尊であり、ご自身も弟子であると称されて、生涯乞食僧として過ごされました。弟子の貞心尼さんにもそのような仏道を歩んで欲しいと願われた。

さらに霊鷲山は、釈尊が大衆を前に拈華微笑し弟子の摩訶迦葉さんだけがその意を理解されて微笑されて正法が迦葉さんに伝えられたという古事に因み、良寛さんも、後は貞心尼、お前に託すと云う気持ちを歌に込められたのでしょう。

お二人で「霊山の釈迦…」の唱和をされて、ここに師資相承(師から弟子へと仏道が伝えられる)が成就しました。その後、良寛さんは体調を崩され、下痢に悩まされながら天保二年正月六日に遷化されました。お二人の最後の歌は
「くるに似てかへるに似たり沖つ波」(貞)
あきからかりけり君が言の葉(良)
と記されています。(図一 参照)

四、師資相承後の貞心尼さん

一『蓮の露』の纏め

良寛さんの生き方を学ぶために良寛歌が散逸し、朽ちて終うとのないようにと、短歌、長歌等の良寛歌九十七首、お二人の唱和五十四首及び九十カ条の戒語等を纏められて山田静里氏に依頼して「蓮の露」と命名して、師の御形見と傍らに置き朝夕に取り出し見つつ来し方を偲び又御自身の戒めとされたようです。

二『良寛道人遺稿』の刊行への協力

前橋・龍海院の蔵雲和尚は良寛詩を読み、優曇華(三千年に一度開花する珍しく貴重な華)を見たような心境と感激して刊行を期されて、貞心尼さんも「私もかねがねその事心にかけていましたが漢詩故に自分には及ばぬことと思いましたが成就を願っています」と積極的に協力され『良寛道人遺稿』を知人に送付する際には「仰ぎつつ見ん人しのべ優曇華の花にも優る言の葉ぞこれ」と書き添えられた。
以上お二人の師弟愛・師資相承の様子をお話しいたしました。


蓮の露

(会報誌:2018年10月/総務委員会 )

写真引用(ウェブ広報:榊):
長岡観光ナビ:https://nagaoka-navi.or.jp/course/42088
百休庵便り:見とれてしまいました !!! ~ 良寛さん から 貞心尼さん への手紙

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