
ふれあいふるさと館をよろしく
理事長 髙橋 秀夫
四月三日未明、突然、川村敏夫理事長の訃報に接しました。
理事会は二日でした。検査入院から帰宅しておられると伺っていたので、会館の補修について理事長の望む方向で了承いただいた旨のご報告を、と気は急きながら遅くなったので翌朝に延ばしました。翌三日早朝の訃報に、電話の前で号泣してしまいました。通常でも困難な建て替え事業を、新型コロナウィルスが幾重にも困難に拍車をかけました。時に、もういい!と受話器を投げつける激しい意見を申し上げたこともありました。七年間副理事長として仕えましたが、たいした力になることができなかったこと、慙愧の至りです。後継社長の中村和夫氏は通夜のご挨拶で『やっと竣工できた』と心底嬉しそうな安堵の笑顔で語りかけられた、と伺い何よりの供養と胸をなでおろしたことでした。
先代理事長のご遺徳はあまりに大きく、後継者選びは難航し、副理事長である私が理事長に推薦されました。相応しくないと固辞したのですが、全理事が支えるからと言われ、私が川村理事長の残存期間を務めさせていただくことになりました。
新型コロナウィルスの蔓延は世の中を大きく変えました。産業革命や第二次世界大戦に例える人もいます。時代はどんなに変わろうが、誰にもあるふるさとへの思いは変わらない。郷愁が生命の源泉であると実感する人の多いのもまた事実でしょう。その意味で会館はひとり新潟出身者だけのものでなく、近隣住民を始めどこの誰であろうが国が違おうが、ふるさとを愛する皆様に広く親しんでいただこうと「ふれあいふるさと館」と命名いただきました。この愛称で運営することになります。また、四階から八階は当財団と理念を同じくするユースホステルさんが運営して下さいます。

新館建設には、多額の借金をしましたが同時に、小林保廣東京新潟県人会会長を委員長とする募金委員会で多くの篤志家の皆様から予想を超える浄財をお寄せいただきました。改めて厚く御礼申し上げます。今後は財団の組織をより堅固にして、借入金の返済に汗を流します。関係機関の協力も頂きながら、郷土新潟の文化物産展を始め地域商店街などとも連携して上野の街興しの一端も担う気構えで、この困難を乗り切る方向性を示してゆきたいと念じております。バトンタッチの日までどうかよろしくお願いいたします。