コロナの一年半、あれこれ。

暮らしのヒント

樋口 高士

一、「横浜港」帰港の「ダイヤモンド・プリンセス号」が発端

 この一年半。日本の社会を、いや地球全体を覆っている「コロナ禍」という暗雲。振り返ってみると、私が、最初にこの「コロナ・ウイルス」を強く意識したのは、昨年(2020年)2月4日、私の地元・横浜港に巨大客船「ダイヤモンド・プリンセス号」が帰港した時だった。

 本船は、ツアー客2千人余を乗せて、1月20日にこの横浜港を出港。1月27日に香港で下船の乗客のコロナ感染が発覚。1月初旬以来、中国武漢市で猛威を振るっている「新型コロナ」が、この帰港によって、俄かに現実味を帯びたのだった(乗員・乗客・3,711人のうち、692人が感染、重症者36人、死者4人。2月25日時点)。

 港は騒然。マスコミ報道も騒然。ここからの、あれよあれよという感じの急展開は、私たちが、等しく実体験してきた通りである。

二、特措法に基づく初めての 緊急事態宣言 発令

 2月14日 国内初死者
 2月15日 東京・屋形船で7人の感染者(クラスター・感染者小集団)
 2月24日専門家会議─これから1~2週間が瀬戸際
  ・大型イベントの中止
  ・立食パーティーの回避
 3月09日 専門家会議─3密(密閉・密集・密接)の排除
 3月14日 改正特措法 成立(緊急事態宣言の為の条件が整った)
  かくして、4月7日(火)緊急事態宣言 発令へとつながる。


朝日新聞4月8日

 安倍首相談話「全国的かつ急速な蔓延により、国民生活及び国民経済に甚大なる影響を及ぼす恐れがある事態が発生したと判断」(4月7日)上掲の新聞(朝日4月8日)を、手にしたときは本当に驚いた。7㎝幅の黒ベタに、白ヌキ5.5㎝ 角の文字が並ぶ見出しは、私の知る限りこれまでの最大のものだった。

三、「新型コロナ・ウイルス」とは、そもそも、なにもの?

 連日の溢れんばかりのマスコミ報道によって、私たちは、漸く「コロナ」を知ることになる。
イ、新型コロナ・ウイルスとは
 ヒトに感染するコロナ・ウイルス7種のうち、重症の肺炎を引き起こすものは3種。
(1) SARS(2002年・中国で発生)
(2) MERS(2012年・中東で発生)
(3) 新型コロナ・ウイルス(COVID-19)

ロ、どんな風に感染するか
 主な感染経路は、感染者の「せき」、「くしゃみ」、「会話」で生じる「飛沫感染」。ウイルスが付いた場所を触った手で、目、口、鼻を触ることによる「接触感染」。感染すると、37.5℃以上の熱が出て、だるさ、せき、のどの痛みなどが生じる。

四、100年前の「スペイン・インフル」が今回の「コロナ禍」を暗示

 膨大な「新型コロナ」情報の中で、私が特に注目したのが、磯田道史氏の論稿(文藝春秋)の中で氏が紹介していた「スペイン・インフルエンザ(風邪)」のこと。それは、私が若き日愛読した仏蘭西の詩人・アポリネールが、1918年に「スペイン風邪」で死す。という微かな記憶が頭の片隅にあったことも作用。

 速水融・著『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界大戦』(2006年2月刊 藤原書店)


日本を襲ったスペイン・インフルエンザ

 速水融氏(1929~2019)は、「今後の日本社会を襲うリスクでは〈ウイルスのパンデミックス〉が一番怖い」と既に警告していた。ちなみにスペイン・インフルエンザは、欧米各国で猛威を振るい、感染者6~8億人、死者4千万人といわれている。(当時の世界人口18億人)。

 丁度100年前のスペイン・インフルエンザは、日本でも終息まで約2年かかっている。第1波(1918年5~7月)、第2波(1918年10月~1919年5月)、第3波(1919年12月~1920年5月)。そして、第1波では死者はほとんどでていないにもかかわらず、第2波では、ウイルスが変異したことにより、致死率が高まり、26万人もの死者が出たという。なにやら今回の「コロナ禍」の行く末を暗示していたようだ。

五、「新型コロナ・ワクチン接種」に微かな光明を求めて

 年が明けても、コロナの荒波は衰えるどころか、大型の「第3波」。さらに新たな脅威・感染力がより強いという「変異株」による「第4波」。そして、1月の2度目に次いで、4月24日には遂に3度目の「緊急事態宣言」。
 いま、私たちが、等しく前途に望みを託しているワクチン。わが家にも、横浜市から漸く通知が到着。5月5日。すったもんだの末、やっと、第1回 5月23日、第2回 6月13日の予約が取れたのだった。

(2021年5月6日)