送別歌

暮らしのヒント

宝田明―俳優、1934年朝鮮生まれ。2歳の時に父の仕事で満州(今の中国東北部)に移り、1945年の終戦をハルピンで迎える。敗戦のために中国での裕福な生活から一転し、12歳の時に満州から地獄を見るような苦労をして引き揚げてきた。「送別歌」というこの本の題名は、大陸で生まれ育ち、多感な時期を過ごし良くも悪くも記憶に残る大陸との別れとまだ見ぬ祖国への期待など、引き揚げ船の上で想い・感じた事を後に漢詩で詠んだものだという。

 昭和21年の引き揚げで本籍のある村上へ。この時代厳しい生活はどこも同じで、貧しく厳しい中学生時代を本籍の村上で過ごす。先祖は村上藩士で厳格な家柄だった。朝鮮総督府の海軍武官だった祖父の勧めで、父も鉄道技師として朝鮮に渡り総督府鉄道に入り、宝田明はここで出生した。

 その後親戚を頼って上京するが苦しい生活は変わらず、苦労をしながら高校卒業後1953年に芸能界へ入る。東宝映画のニューフェイスから早々にゴジラ映画で主演をとるなど芸能界で躍進し、その後もミュージカル舞台やテレビドラマでも活躍する。70歳を過ぎてからは自らの戦争体験をもとにした音楽朗読劇「宝田明物語」を企画し、現在も活躍中である。

 この本では前半で大陸育ちのコスモポリタン、消えない弾痕、引き揚げ後の異邦人としての旅路など苦しい体験を語り、後半はゴジラの生き証人、日本映画の光と影、ミュージカル俳優への転身など芸能界の話、エピローグとして「私の願い」と、纏めている。

 中国語が堪能な宝田さんは映画界に入った後、台湾や香港の映画にも一人で出演し、中国の関係者から直接日本軍の話を聞くことがあった。この時思ったことは、終戦の直前に無政府状態のハルピンの街に突然ソ連軍が侵攻してきて、ソ連兵はやりたい放題。略奪、暴行、凌辱の限りを尽くした。幼い目にしっかり焼き付いたこれらソ連に対する憎汚は消すことが出来ず、「私が今のロシアを絶対に許せないのと根っこは同じ」と語る、そして厳しい戦争の実体験から戦争は絶対に反対「不戦不争」という姿勢は今の活動も良く表れ、「間違ってもあのような戦争を起こしてはならない」と、いう信念は良く表わされ、著者の生きざまがしっかりと貫かれているこの本に感銘を受け、是非多くの皆さんに読んでいただきたい本となっている。(広報委員・佐藤 勝)


送別歌

送別歌
宝田 明 著
ユニコ舎・刊
2021年1月30日