「春よ来い」の歌碑(糸魚川市)

にいがた情報

春の訪れを待つ気持ち

 相馬御風(そうまぎょふう・本名 昌治)は明治16年(1883)糸魚川に生まれ、東京で歌人、詩人また評論家として活躍しました。
 また御風は明治40年(1907)母校早稲田大学の校歌「都の西北」を作詩、大正3年(1914)には、作曲家中山晋平のデビュー作で、女優松井須磨子が歌い、日本の流行歌第一号となる「カチューシャの唱」を恩師島崎抱月と共に作詩しています。大正5年(1916)御風は33歳で著作『還元録』を発表し、“心のふるさと”糸魚川へ帰り住みました。以降、昭和25年(1950)に67歳で没するまで、糸魚川から数々の著作を発表し続けました。
 童謡「春よ来い」は大正10年(1921)に誕生した長女文子を素材に作られたとされています。当時の童謡にはめずらしく幼児語が使われ“歩きはじめた”などの卓越した描写により、春の訪れを待つ雪国の人々の気持ちが童心を通して描かれています。曲は「浜千鳥」「叱られて」などの作曲者 弘田龍太郎の作で、大正12年(1923)1月に完成しています。

写真:糸魚川市一ノ宮1383 フォッサマグナミュージアム駐車場脇にある「春よ来い」歌碑

春よ来い:作詞 相馬御風  作曲 弘田龍太郎
♪児童向雑誌「金の鳥」(大正12年3月1日、金の鳥社)への発表が初出とされています。御風の作詞曲の中でも知名度の高い作品です。

糸魚川市一ノ宮1383
フォッサマグナミュージアム
(会報誌:2021年03月)