自分史綴り

会の活動報告

令和2年2月10日(月)15:00~17:00
卓話者:坂大トキエ(東京やまと会副会長)

昭和・平成・令和──三時代の庶民生活史

「自分史」を綴るきっかけ
自分の辿った人生を「自分史・学びから自立へ」として手書きで作り始めました。最初は軽い気持ちで始めたのが、いつの間にか自宅の書棚には自分史綴りが144冊となり、現在も続行中です。
 あるとき、自主学習グループから「ライセンスも何もない」〝ただの中高年主婦が再就職できたプロセス〟について」というテーマで話してください。と、依頼を受けました。これが最初で、次が川崎市でした。その次が川崎市教育委員会社会教育課成人教育学級からでした。この講話依頼を受けた時にレジメとして書いたことを機としてまとめたのが自分史を作る始まりでした。(ライセンスも、何もない者にと、いわれた事を忘れる事ができません)

 1939年、現在の南魚沼市にある農家の4女1男の4女として生まれた私は、一旦、社会に出て愛知県の企業に就職し20歳でUターン、青年団と一緒に夏の八海山に登りました。その後2回登り山登りの良さを知ることになりました。
 24歳になって、日本鋼管(川崎)に勤務している夫と結婚し、先々を考えて2年目でマイホームを新築しました。住宅金融公庫からの借入れ(月々の返済をして8年)が主でしたが、それだけでは足りず、他からも借金して……その借金をミシンの内職をして2年間で返済しました。その後二階を増築、生活の基盤を固めました。

次なる2つの目標
 次なる目標(夢)が
①日本一高い山富士山への登頂
②子供の教育に伴う自分自身の学習
……サークル活動を含む「ひたすら生きる」、「何がなんでも行くぞ」の精神で突き進みました。

 富士山の登頂は単独で30歳直前(今から50年前)に達成し頂上での醍醐味を充分味わいました。それ以降、登山がライフワークの一つとなり、日本百名山の60余座に登頂し、国内の旅は47都道府県全県巡りを行い、海外はヨーロッパ、中南北米、アジア他64回の旅を達成しました。特に60歳になって自分で企画して出かけたネパール・ヒマラヤのトレッキングは、7~8千メートル級の白峰群に魅せられ「女だから」と受け身にならず、自分で決めた道を積極的に生きたいという一念で、20年で18回も通うことになりました。

 子供の教育と自分の学習は、幼小中高校のPTA活動や社会教育分野での学習の活動を経て、学童保育指導員(20年勤続)~川崎市非常勤嘱託職員、体育指導委員(12年勤続)、川崎市嘱託職員~無報酬・かけもちでやる等を通じて達成したいと思っています。
 「自分史・学びから自立へ」も活動の各ジャンル・サークル毎のまとめや実家の家系図、子供の成長記録、手紙の往還の「書簡集」も手書き原稿を自分でコピー~製本し、自分史として制作しました。制作した自分史を通じて子供たちに親の生き様を伝えたいという思いから,1巻作ると書き残したことが次から次へと出てきて、2巻から3巻と作り、さらに作り続けています。自分史をまとめる作業をしていると、その当時を思い出し楽しいものです。

「自分史」は自分自身のため
 「自分史」は、基本的には自分のためであり、自分の人生を客観的に把握し、周囲の人との絆を実感したり、生きる意味を再認識したりして「今後の生き方」や「やりたいこと」が見えてきます。また、過去を思い出す作業は、脳の活性化という点で悪い事ではありません。

 誇れる功績も、優れた能力もなく、平々凡々とした人生でも、それは私にとって唯一無二の価値があり、今後の日々を過ごしていくうえで、自分という軸をしっかり据えて歩んでいくための素地となりました。
 他にも、現在の私のライフワークは、「猫の手援農隊」の名前でボランティア活動(21年間:長野県のリンゴ、山形県のサクランボ、宮城県の梅、沖縄兼のサトウキビ、千葉県・静岡県・神奈川県のミカンもぎ等)や居住地域の「盆踊りを守る踊り子さんの会」代表、「東京やまと会」の幹事、ふるさと小中校のクラス会幹事、ふるさと公民館への図書寄贈などの活動を継続中です。社会の為に役立つことは楽しいものですが、これが自分史の一つ一つになっています。

 現在の自分自身の信条は
・「 一回きりの人生をどう生きるかが大事」
・「 命の長さより、どう生きたかが大事」
・「 地味な事でも、始めたらこつこつと長く続けることが大事」である

と、卓話を締めくくった。

《引用文献》
 「自分史」という言葉は、歴史学者の色川大吉氏が1975年の自著『ある昭和史』(中公文庫)で始めて使ったとされています。
「偉人や有名人の自伝ではなく、庶民の歴史、個人史を記した自分史は、かけがいのない〝生きた証〟で無限の想い出を秘めた喜怒哀楽の足跡なのである」というのが、色川氏の「自分史」に関する定義です。
(会報誌:2020年5月)