100周年の思い出、そして110周年へ

暮らしのヒント

村上市出身 細井ミツ子

 令和2年9月26日、一通のハガキを受け取った。あれ、見たことのある文字だなぁと思ってよく見てみるとなんとそれは10年前に県人会の100周年記念式典の会場から自分自身に宛てたハガキだったので驚いた。

 10年前、前夜祭での「おけさ流し」や「民謡流し」のことが懐かしく思い出された。「民謡流し」では県人会の「おけさクラブ」も参加して大いに汗をかきました。


東京新潟県人会100週年記念 記念植樹


東京新潟県人会100週年記念 大交流祭の前夜祭


東京新潟県人会100週年記念 大交流祭の前夜祭

 午後からはふる里の森に於いて植樹が行われ、県木である雪椿を中心に植えられたと記憶しています。私はその後木の成長を見ていないが、どんなに大きく成長しているだろうか。元気なうちに会いに行きたいものである。

 9月25日の大感謝祭は盛大に行われた。会場の朱鷺メッセは初めての経験であったがとても広くて立派な会場であった。4Fのマリンホールはお客様で溢れていた。

 私たちは、会場の入口で、お客さまにパンフを手渡す係をしていたので、会場の催しは交代で見る程度であったがイベントはどれも大盛況であった。

 当時大活躍されていた大先輩の役員の何人かは故人となられましたが、その方々の残された功績は、末永く県人会や会員の心の中で輝き続けることでしょう。


東京新潟県人会100週年記念 大交流祭


東京新潟県人会100週年記念 大交流祭


東京新潟県人会100週年記念 抽選会


東京新潟県人会100週年記念 大交流祭

 私は、ハガキにも書いたように、この10年を生きてまいりましたが、その間何人もの友人を亡くしたり、私自身も乳癌の手術をしたり予期せぬことがいろいろありました。しかし、東京新潟県人会に入ったことで、病についても悶々と考えることもなく、みなさんに逢うことが心の支えになりました。

 このたび、新しい新潟県人会館「ふれあいふるさと館」が関係者の並々ならぬご尽力、そして会員のご協力によって完成の運びとなりました。その新しい会館で110周年を迎えることは 幸せであり有り難いことであります。これからの10年は少しでも若い会員に入ってもらうことや、地域との交流を今よりさらに深めていく必要があるでしょう。

 そのためにはどうしたらよいか、110周年を迎える東京新潟県人会は発足以来、大変な努力をなさってこられたと思います。大戦もありましたし、任意団体であるから会費や寄附金で成り立っている会であるので、設立当時から莫大な寄附をされてきた方々がいらしたので今日があると思います。ふるさとを思う仲間、努力して掴んだ財力、そして同郷出身の後輩を育てるという意気込みが新潟県人会の礎となっていると思います。その先人の方々には心から感謝するところでございます。

 さて、110周年を迎えたことにより、これからの東京新潟県人会館、東京新潟県人会はどのように運営していくべきなのか。これはみなが思っている重大な問題であろうかと思います。私どもが老年期を迎えた最近は特に社会情勢も著しく変化しました。70~80代の人間には到底ついていけなくなってきました。少子高齢化の時代、青年、壮年層を掴むことは難しいと思いますが、現代の機器、未来の機器を使いこなし、数字を理解する力・企画・経営も新しい時代に相応しい役員を育てる必要があると思います。コロナウィルスが蔓延して世界中が全く先が見えない危機にさらされている昨今、人の働き方もテレワーク、その他変わってきました。その中でどう生き、どんな社会を築いていくか大きな問題であろうと思います。

 最後に、第96回定時総会で制定した県人会の理念を掲げ、常にこれを心に受けとめておきたいと思います。

一、郷土愛でつながる人の和
一、友愛と協調
一、ふるさとへの架け橋


10年前のハガキ と 2019年納涼まつり時の実行副委員長として壇上での謝辞

(2020年12月 会報誌:細井 ミツ子、大交流祭の写真:榊 勝彦)