良寛の生き方は地球を救う

暮らしのヒント

小林 保廣

はじめに

 戦後六十三年、会員の皆様には郷里新潟を離れ、日常の生活もままならない苦境を、自らの力で頑張り乗り越えてこられた方々が大半かと思いますが、近年、経済活動がアジア地域等で進むにつれ、一段と環境破壊が全地球規模の重要な課題となってきております。
 人間の知恵を可能な限り出して技術開発を進める一方、我々地球上の一人一人の日常の生活を見直すことも地球汚染を食い止める基本的な力であると考えます。
 このような観点から、良寛さんの生き方をいま、改めて考えてみようと思って筆を執りました。


良寛和尚誕生の地「良寛堂」

良寛の生き方は地球を救う

 良寛さんは、財産や名誉、権力など人間を惑わす一切の想念を取り払って、(物質的にはこの世で最も貧しい生活を続けながら、清らかで美しく優しい心をもって、風雅で芸術の境地に浸りながら優々とした人生を送りました。)良寛の心を支えたとされる仏教では、一宗一派に組せず、釈迦仏教そのものに迫り、純粋な生活を送りました。「やわらかな心」、大人でも子供でもまた動物や植物にいたるまで同じ愛情で接する等、その人間性と慈愛は「生き仏」であるとさえ言われるにいたりました。
 今では国内はもとより、世界各国でも良寛の思想や生き方等に関心を寄せる人々も多くなり、世界七カ国語で良寛に関する著作が出版されるという広がりを見せています。

 良寛は万葉集を学びながら、平明で清らかな良寛調とも言われる歌風を確立し、千四百首にも及ぶ歌を遺しました。情感に満ちた七〇〇余りの漢詩を詠んで、また書芸では、枯淡無類にして他の追随を許さないという格調高い書風を遺し、国内外を問わず漢学や国学に対する深い学識は、当時超一流の学者でもありました。【出典 全国良寛会】


良寛と夕日の丘公園のシンボル
良寛と子供の「語らいの像」(蔵木弘次作)

(会報誌 2008年3月 小林 保廣)