小千谷は、古くて新しい町

暮らしのヒント
──幕末史実・縮織・錦鯉・へぎそば……

上越新幹線・長岡駅から、在来線・上越線で東京方面へちょっと戻る感じで約15分。小千谷駅前から信濃川方面へ一直線に延びているR291を進み、旭橋を渡り小千谷の古くからの本町通りへ。かつての「がんぎ」通りは見事な近代的なアーケード街に変貌していた。


小千谷本町通りに面した西脇邸

一、幕末の史実を伝える慈眼寺を訪れる


幕末の「講和談判」の場・慈眼寺

 アーケード街を通り、まず向かったのが、慈眼寺(平成2-3-35)。幕末慶応4年河井継之助が西軍の軍監・岩村精一郎と講和談判を行った場所。会見の間は当時のまま保存されている。又、このすぐ傍には、河井継之助が会談後昼食をとったといわれている割烹「東忠」(元町11-11)(登録有形文化財)もあり「梅の間」がそのまま現存。

二、江戸時代から続く小千谷縮


小千谷織物工房のエントランス

 慈眼寺から次に向かったのが産業と観光の拠点といわれているサンプラザ(市総合産業会館 城内1-8-25)。サンプラザには小千谷の物産、お土産品などが揃っているが1Fには小千谷織物協同組合による「小千谷織物工房」が設置。「小千谷縮」の歩みの展示、自分だけの織物をつくれる手織り体験工房もある。


手織り体験工房コーナー

三、泳ぐ宝石といわれる錦鯉


鑑賞池で悠々と泳ぐ錦鯉

 次に、サンプラザの裏側、地続きの処にある「錦鯉の里」( 城内1-8-22)へ向かう。錦鯉とは、色や斑紋があり、観賞用に飼育している鯉の総称。中越地震からの復興のシンボルとして、「小千谷の魚」に制定。さらに「県の鑑賞魚」にも指定。資料展示室には、錦鯉の歴史、飼育方法等が、日本語、英語、中国語で表示。鑑賞池には、錦鯉の原産地ならではの優秀鯉20種約100匹の鯉が悠々と泳いでいた。

四、〝そば通〟をうならせる絶妙な「へぎそば」


へぎそば(わたや)

 全国から〝そば通〟が、この絶妙な味を求めてやって来るという、小千谷の「へぎそば」。その味覚の秘密は──〝つなぎ〟に使っている海藻の「ふのり」。もともと、この「ふのり」は、重要文化財指定の「小千谷縮」の工程で使われていたものという。市内には、老舗「わたや本店」(本町2-3-34)など10軒のそば店があり、連日賑わっている。
(2019年9月:広報 樋口)