うえの夏まつりパレード ヒストリー(その1)

県人会メイン行事

2020年、新型コロナウイルスの関係で今年のうえの夏まつりパレードは中止になってしまった。東京新潟県人会は、うえの夏祭りパレードにここ毎年参加している。筆者が県人会で写真を撮るようになる2013年からだ。ここに過去の写真を使って2013年から2019年の東京新潟県人会「うえの夏祭りパレード」を振り返ってみることにした。(広報ウェブ:榊 勝彦)

第30回 うえの夏まつり/2013年7月20日(土)

上野駅コンコース広場

うえの夏祭り

うえの夏まつりの写真を初めて撮ったのは2013年からだ。県人会は既に過去にうえの夏祭りに参加していたのかもしれないが私は知らない。2013年も上野中央通りのパレードには参加していない。
 

うえの夏祭り

まず上野駅コンコース広場での佐渡おけさが披露された。時間にして20分程度だっただろうか。次いで場所を移して上野不忍池近くの水上音楽堂で行われた。まだ佐渡おけさを踊る人数はさほど多くない頃だった。
 

うえの夏祭り

コンコース広場での開催は物珍しさもあって行き交う人が立ち止まった。JR上野駅コンコース 13:00 ~ 15:00、東京新潟県人会は6番目に登場だった。
 

うえの夏祭り

このあと水上音楽堂に登場すると言うことで、急いで場所を移動する。

水上音楽堂

うえの夏祭り

急いで移動したが、出演の関係もあって時間的に余裕だった。水上音楽堂 15:00 ~ 20:00、東京新潟県人会は7番目に登場した。
 

うえの夏祭り

巷のチラシやパンフレットを見ると、例えば、2019年のチラシでは「第36回うえの夏まつりパレード」であり「第68回うえの夏まつり」と書かれてある。
 

うえの夏祭り

この回数の違いの理由を調べてみた。どうやら2019年度の場合なら、毎夏1カ月間にわたって開催される伝統ある上野の夏まつりは第68回であり、その中で1982年の東北新幹線開業を記念して始まったパレードが第36回の意味のようだ。
 

うえの夏祭り

そうであれば1982年のパレードが第1回となり2019年度の場合、第38回になって良いのだが実際は第36回となっている。2011年に発生した東北大震災でも東日本復興支援として開催されている。この2回少ないのは何故だろう。

第31回 うえの夏まつりパレード/2014年7月19日(土)

うえの夏祭り

昨年に続いて東京新潟県人会が、今年もうえの夏まつりパレードに参加することになった。今回は何と上野中央通りに登場する。当時、踊りの団体は黒門小学校のグランドに集合した。ご覧のように雨が降ったり止んだりする不安な空模様だった。
 

うえの夏祭り

他の団体も黒門小学校のグランドに次々とやって来た。雨が止んだかと思えば、またポツポツ振り出しす状態。とにかく空模様が気になる。既にパレードの音が遠くから聞こえてくる。時間になると黒門小学校から上野松坂屋手前まで行くことになる。
 

うえの夏祭り

東京新潟県人会の出番はかなり早い登場だった。結果的に出番の早いことが幸いした。東京新潟県人会が踊った時間帯は雨があがっていたのだ。
 

うえの夏祭り

この頃は佐渡おけさを踊る人数は今ほど多くなかった。筆者の記憶が正しければ、2014年は生演奏でなく音源を使っていたはずだ。
 

うえの夏祭り

雨が降りそうな曇り空のため全体的にやや薄暗いが、まだ日が暮れていない時間帯だ。こうして雨に打たれず踊りは終了した。他の団体もカメラに収めたが、いつしか雨は本降り状態になる。
 

うえの夏祭り

ここ最近は登場していないが、浅草サンバカーニバルのチームも何回か登場していた。2011年の東北大震災の夏は浅草サンバカーニバルは中止となり、こちらのパレードに少人数ながら参加したようだ。写真では分からないが既に雨はかなり降っている。
 

うえの夏祭り

中盤以降の団体は、まるでシャワーを浴びている状態となる。もうパレードどころじゃない。気の毒としか言いようがない。準備した衣装やセットを披露することなく演出を断念した団体もいたようだ。
 

うえの夏祭り

この雨の中の状況では見る方も大変だ。雨のお蔭で人だかりは極端に少ない。しっかり前列で撮影出来たことだけは良しとしよう。私も濡れた濡れた。この2014年度のパレードは今でも強く記憶に残っている。
 

うえの夏祭り

写真で見るより実際の雨は激しい。強い雨に打たれた団体は本当に気の毒だ。県人会館に戻ると既に安堵の表情の皆さんが会食を楽しんでおられた。皆さんお疲れ様でした。
 
うえの夏まつりパレード ヒストリー(その2)
うえの夏まつりパレード ヒストリー(その3)