祈り 忘れるな拉致

暮らしのヒント
風化させてはいけない「拉致」の問題

 先の広報委員会の席上で、新潟日報事業社から緊急出版されたという小冊子が紹介された。6月5日に亡くなられた横田滋さんを追悼しての報道写真集でした。

 亡くなられたときは新聞などでも大きく報道されたが、コロナ渦のニュースなどでどうしても意識が薄れてしまう。改めて横田めぐみさん拉致事件について考え、どうして今でも解決できないで来ているのか考えてみたい。

 毎年8月の終戦記念日を迎える頃になると悲惨だった戦争体験の事が多く報道される。1945年の終戦から今年は75年が経過し、戦争を知る人も少なくなってきているが、戦争の惨さと二度と戦争だけは否ということだけは老若男女誰もが知っていることです。

 これからも風化させてはいけないことの一つに拉致誘拐の事件があります。北朝鮮による横田めぐみさんらが誘拐拉致された事件は、終戦の時に比べればまだ最近の事のように思える。まだ幼い中学生だった横田めぐみさんが新潟市の学校から帰る途中に行方不明となったのは1977年(昭和52年)11月、43年前の事でした。当時は行方不明として交通事故や誘拐などさまざまな可能性が探られたといいます。

 そして、20年後の平成9年になって、韓国に亡命した北朝鮮工作員の証言などにより、やっと北朝鮮による拉致疑惑が浮上しました。その後2002年に小泉首相が訪朝しての日朝首脳会談で初めて北朝鮮の金正日が日本人拉致を認め謝罪、5人の被害者帰国へと結びついた。その後の展開にも光明が見えたものの、横田めぐみさんについては死亡と伝えられ、返還されてきた遺骨はDNA鑑定により別人のものと判明したことなどのニュースはまだ記憶に新しい。この間、拉致被害者家族連絡会の代表を長く務められてきた横田滋さんの内に秘めた苦渋と拉致被害者奪還への強い思いとご夫婦でのその行動には本当に頭が下がる。

 横田さんご夫婦は新潟の方とばかり思っていたが、日本銀行の社員として新潟支店へ家族で転勤中にこの失踪事件にあったということです。

新潟で初めて迎えた正月時の写真──めぐみさん13歳

 めぐみさん13歳の時に新潟の家で初めて迎えたお正月の写真が今回の報道写真集「祈り」に大きく載っていて、この年に行方不明となっているのです。この小冊子を見て横田滋さんは写真を撮るのが大好きで拉致される以前の幸せな一家の様子がうかがえる沢山の写真が載っています。このどこにでもある幸せな家族を一瞬にしてどん底へ突き落したこの事件、滋さん夫婦は40年前の行方不明以来親身になって捜査や報道などに尽力してきた新潟日報他マスコミの方々には感謝しているということです。

 北朝鮮による拉致と判明して以来横田夫妻は拉致被害の象徴的な存在として全国で公演活動などを通し拉致被害者の全員帰国を訴え続けてきました。拉致された本人はもちろん、その家族の人生も狂わせた重大な人権侵害を許してはならない。

 人を拉致するなど大犯罪に対してなんでその責任を追及できないできたのか、何の罪もない13歳の少女を誘拐拉致するなど重大な人権侵害として国内の世論だけでなく国際社会のこの卑劣極まる国際犯罪に対して強く対処できないものか。

 私がいつも疑問に思ってきたことは、まだ現在も元気な小泉元首相がこれら経緯の中でその後なんのコメントも出せずにいること、小泉訪朝の際に官房長官として同行し、首相になってからも拉致問題は自分が必ず解決させると言っておきながら何ら進展させることの出来ない安倍首相など日本のトップの力不足と国の外交能力に疑問を感じるのです。今までの経緯の中でニュースとなった韓国から拉致されてきたというめぐみさんのご主人の事やモンゴルにいるというその娘さんのことなど、その後一切の報道がなされない。

 大韓民国航空機爆破事件やミサイル発射実験など無謀なことを好き勝手にやっている北朝鮮に対し、国際的に制裁を科してはいるもののあまり成果をあげていない。北朝鮮を裏から支えているという中国やロシアの存在など複雑な国際問題もあるのかもしれなく、難しい事なのかもしれないが、納得いかない。

 戦争も拉致問題も風化していく。「世論が忘れたら政治は動かない、世論に支えられていなければ拉致被害者は戻ってこられない」という強い信念で頑張ってこられた横田さんの無念を思うとき、北朝鮮への憤りを他人事でなく我こととして考え今後も関心を持って行きたい。
(2020年9月:広報委員 佐藤 勝)


報道写真集『祈り』
めぐみさん奪還運動全記録

2020.7.7 初版第1刷発行
・発行所 新潟日報社
・発売元 新潟日報事業社
・定価  1,800円+税
本書の売上の一部は北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)に寄付致します。